発電用石炭の不足により、全国の電力不足は6,963万kWに達し、13の省級電力網で電力供給の停止や制限が発生している。全国石炭在庫は2,032万トンに落ち、相当数の発電所の石炭在庫は警戒ラインを超えている。 このようなニュースを聞くと、筆者は反射的にいくつかの国有大手電力企業が連名で発展改革委員会に上申して石炭と電力価格の連動と電力価格値上げを求めたことを思い出す。今回の電力不足や発電機の停止は石炭供給の不足に起因するものであり、資源不足が電力の全体的供給に連鎖的に波及し、最終的に電力パニックをもたらしたのである。 電力企業の「値上げ理由」には部分的に合理性があることを認めなければならない。現行の電力価格は依然として政府による準統制が実施されており、発展改革委員会が制定した上限価格が厳しく適用されている。だが、その一方で、石炭分野ではすでに価格の市場化が基本的に実現し、石炭価格は絶えず上昇している。例年の発電用石炭価格交渉は熾烈な駆け引きであり、お互い自身の利益を守るため譲り合うことはない。しかし、交渉の結果、石炭企業にとって利益が出ないか最悪赤字となる結果が出た場合どうするか。石炭企業にとって最も賢明なやり方は生産量を減らすること、つまり、市場への供給を減らすことで市場の需要がタイトになるように仕向けることによって、値上げを迫ることである。実際、これもまた市場経済の運用手段に他ならない。 しかし、「半計画経済」にある電力企業と「市場経済」の色に染まっている石炭企業の異なる言語体系が融合することは困難を極める。そこで電力企業は発展改革委員会等の主管機関に行政支援を求め、政府の強力な関与によって矛盾を解決しようとする。しかし、これによって電力企業の「計画経済」の色彩はますます濃くなる。本来市場の需給と取引手段によって進めるべき価格交渉は政府統制の旧来のやり方に引き戻される。こうした深層レベルでの体制の衝突がますます激化すれば、今後とも石炭パニック、電力パニックはより一層深刻なものになるだろう。 政府は善意に基づいて電力価格、石炭価格に対し全面的な統制を進めようとするが、そのために相応の代償を支払う羽目になる。すなわち、行政の保護の下に電力企業の市場独占は日増しに著しくなるのである。外資や民間資本が参入することは困難なままであり、電力の市場化改革は停滞する。石炭企業は生産物を市場に投入しても正常な見返りを得ることは出来なくなり、価格の梃子としての機能は基本的に失われる。いわゆる「パニック」は市場からの報復に他ならない。最終的には民衆の利益と経済の正常な発展に災いが及ぶことになる。 政府の統制が度を過ぎると、独占をもたらし、多元的な競争が消失し、価格が支配するという規律が圧殺される。また、供給の連鎖も分断されることになる。このことはすでに石炭パニックと電力パニックが交互に発生していることから見て取れるだろう。もし関係部門が伝統的な計画経済の思考方法をもって過度に市場に干渉すれば、市場はそれよりも激烈な方法で段階的な反発を食らわすだろう。「計画経済」の電力は、究極的には「市場経済」の石炭に抵抗出来ないことは事実によって証明される。 電力供給の逼迫、地方における電力供給の停止や制限の発生は、市場が政府に向けて発している明確なシグナルである。電力体制改革はすでに後戻り出来ないところまで来ている。市場経済が主導する形での石炭と電力の連動の仕組みを速やかに確立する必要がある。捻じ曲げられた価格システムを正常な(コストと需要に基づく)価格システムに復旧しなければならない。このことは、中国市場経済がインフラ建設の分野にまで浸透する中で、必然の流れである。市場による調節は民衆の願いであり、企業の要請であり、政府が担うべき時代の責任でもある。 今回の電力パニックは単純な季節的電力不足ではない。政府と市場の適度なバランスか、政府の監督管理と統制か、そのいずれを取るか、市場効率と公平な競争を保証し、計画経済管理モデルが市場の本質を損なわないよう防止を図る上で今が正に重大な岐路なのである。 (中国電力新聞網 1月25日)
発電用石炭の不足により、全国の電力不足は6,963万kWに達し、13の省級電力網で電力供給の停止や制限が発生している。全国石炭在庫は2,032万トンに落ち、相当数の発電所の石炭在庫は警戒ラインを超えている。
このようなニュースを聞くと、筆者は反射的にいくつかの国有大手電力企業が連名で発展改革委員会に上申して石炭と電力価格の連動と電力価格値上げを求めたことを思い出す。今回の電力不足や発電機の停止は石炭供給の不足に起因するものであり、資源不足が電力の全体的供給に連鎖的に波及し、最終的に電力パニックをもたらしたのである。
電力企業の「値上げ理由」には部分的に合理性があることを認めなければならない。現行の電力価格は依然として政府による準統制が実施されており、発展改革委員会が制定した上限価格が厳しく適用されている。だが、その一方で、石炭分野ではすでに価格の市場化が基本的に実現し、石炭価格は絶えず上昇している。例年の発電用石炭価格交渉は熾烈な駆け引きであり、お互い自身の利益を守るため譲り合うことはない。しかし、交渉の結果、石炭企業にとって利益が出ないか最悪赤字となる結果が出た場合どうするか。石炭企業にとって最も賢明なやり方は生産量を減らすること、つまり、市場への供給を減らすことで市場の需要がタイトになるように仕向けることによって、値上げを迫ることである。実際、これもまた市場経済の運用手段に他ならない。
しかし、「半計画経済」にある電力企業と「市場経済」の色に染まっている石炭企業の異なる言語体系が融合することは困難を極める。そこで電力企業は発展改革委員会等の主管機関に行政支援を求め、政府の強力な関与によって矛盾を解決しようとする。しかし、これによって電力企業の「計画経済」の色彩はますます濃くなる。本来市場の需給と取引手段によって進めるべき価格交渉は政府統制の旧来のやり方に引き戻される。こうした深層レベルでの体制の衝突がますます激化すれば、今後とも石炭パニック、電力パニックはより一層深刻なものになるだろう。
政府は善意に基づいて電力価格、石炭価格に対し全面的な統制を進めようとするが、そのために相応の代償を支払う羽目になる。すなわち、行政の保護の下に電力企業の市場独占は日増しに著しくなるのである。外資や民間資本が参入することは困難なままであり、電力の市場化改革は停滞する。石炭企業は生産物を市場に投入しても正常な見返りを得ることは出来なくなり、価格の梃子としての機能は基本的に失われる。いわゆる「パニック」は市場からの報復に他ならない。最終的には民衆の利益と経済の正常な発展に災いが及ぶことになる。
政府の統制が度を過ぎると、独占をもたらし、多元的な競争が消失し、価格が支配するという規律が圧殺される。また、供給の連鎖も分断されることになる。このことはすでに石炭パニックと電力パニックが交互に発生していることから見て取れるだろう。もし関係部門が伝統的な計画経済の思考方法をもって過度に市場に干渉すれば、市場はそれよりも激烈な方法で段階的な反発を食らわすだろう。「計画経済」の電力は、究極的には「市場経済」の石炭に抵抗出来ないことは事実によって証明される。
電力供給の逼迫、地方における電力供給の停止や制限の発生は、市場が政府に向けて発している明確なシグナルである。電力体制改革はすでに後戻り出来ないところまで来ている。市場経済が主導する形での石炭と電力の連動の仕組みを速やかに確立する必要がある。捻じ曲げられた価格システムを正常な(コストと需要に基づく)価格システムに復旧しなければならない。このことは、中国市場経済がインフラ建設の分野にまで浸透する中で、必然の流れである。市場による調節は民衆の願いであり、企業の要請であり、政府が担うべき時代の責任でもある。
今回の電力パニックは単純な季節的電力不足ではない。政府と市場の適度なバランスか、政府の監督管理と統制か、そのいずれを取るか、市場効率と公平な競争を保証し、計画経済管理モデルが市場の本質を損なわないよう防止を図る上で今が正に重大な岐路なのである。
(中国電力新聞網 1月25日)