「大部門制」による国務院機構改革案が明らかになったが、能源部(エネルギー省)の新設は見送られた。11日に公表された国務院機構改革案では、ハイレベルの議事調整機関として能源委員会が設けられ、能源局は準部クラスの機関として発展改革委員会の管轄の下に置かれることになった。 今回のエネルギー行政機構改革につき、全国政治協商会議委員兼中国電力投資集団の陸啓洲総経理(社長)と中煤能源集団の経天亮総経理は、政府はエネルギー行政機構改革を2段階に進めるよう構想しているとの考えを示した。すなわち、先に能源委員会と能源局を成立させ、体制の合理化を進めた上で、改めて能源部に昇格させるというものである。 今回の改革で大きく進歩した点は、石炭、電力、石油、天然ガス、そして原子力発電及び再生可能エネルギーも含むあらゆるエネルギーのマクロ管理機能がすべて能源局に帰属したことである。これにより、エネルギー管理体制の合理化と今後の能源部への昇格を進める上で基礎が固められたことになる。 二段階戦略 国家エネルギー指導小組弁公室の馬富才副主任は、バランスをより良く取るために、最終的に能源部を独立させずに、発展改革委員会の下に国家能源局を設けることにしたが、そうすることによって、今後マクロ管理部門との協調がうまく行くと指摘した。 これまで、中国には実質的に2つのエネルギーマクロ管理調整機関が存在していた。1つは国家エネルギー指導小組、もう1つはその事務局である国家エネルギー指導小組弁公室である。 指導小組は2005年に設けられた国務院の下の議事調整機関である。錚々たるメンバーを揃え、温家宝首相が組長となっていた。国家エネルギー指導小組弁公室はその事務局であり、発展改革委員会の下に準部クラスの機関として設置された。弁公室の主任は発展改革委員会主任の馬凱が兼任し、発展改革委員会能源局の徐錠朗局長と中国石油天然ガス集団(CNPC)前総裁の馬富才が副主任を担当している。 エネルギー指導小組と同弁公室は、設置されたものの、エネルギーの統一、協調管理の要請に応えることが出来なかった。そうしたところから、国家能源局を今回設立したのは、「機能の合理化と転換を進め、権限の分業を明確化して、協調の仕組みを健全化する」ことに重点があると、馬富才氏は指摘する。また、能源委員会の役割については、馬富才氏によると、そうした機能の仕組みにおいてどのような区別を付けるかがポイントになる。 能源委員会と能源局の二重の枠組みから能源部へ昇格させて一本化することは、上に述べたような問題を解決した後になる。消息筋は、「一気に枠組みを作ると多くの矛盾が生じ、当初は矛盾の調整に追われ、権力闘争にも陥る。正常の機能を発揮するまでには時間がかかる。したがって、まず二重の枠組みを構築した上で、条件が熟すのを待ってから、改めて自然な形で能源部への昇格を行うことになる」と指摘する。 包括管理 馬富才氏によると、今回の改革で大きく変化した点は、国防科学工業委員会の原子力発電に対する管理機能を能源委員会弁公室に移管させたことである。原子力発電は当初軍事的用途とされていたため、これまで国防科学工業委員会の管轄下にあったが、泰山、大亜湾など商業原子力発電所が建設され、管理を統一する必要が高まっていたのである。 能源局の具体的な機能については未だ明確にされていないが、能源局は、エネルギー戦略、エネルギー計画、エネルギーセキュリティ、産業基準等のマクロ管理機能に重点を置くべきであろう。発展改革委員会エネルギー研究所の周大地は、能源局はマクロ管理機能だけでなく、産業管理機能も有するべきであると考えている。 但し、政府から部分的に産業管理機能を委ねられている事業機関である国家電力監督管理委員会(電監会)は、新たに成立するエネルギー部門には統合されていない。「電監会は事業機関であり、政府部門には属さない。電監会の職責は政府から委託されているため、行政体制上、能源局に編入することは出来ない。しかも、電監会の機能は、市場計画、市場参入基準、市場主体など、電力市場に対して監督管理を行うことであり、能源局のマクロ監督管理機能とは異なる」と中国電力投資集団の陸啓洲総経理は言う。 旧能源部失敗の経緯と教訓 1988年に能源部が設けられたことがあったが、1993年には廃止された。今回のエネルギー行政機構改革の立案に当たって、国務院の専門家によるチームは、この時の教訓を総括した上で、当時能源部が流産した背景は今もなお存在していると考え、たとえ今回能源部を発足させても当時と同じ結果になるという結論を出し、最終的には穏当な二段階計画案を選択したのである。 1990年代初頭、能源部は成立したものの、マクロ管理権を欠いていた。マクロ管理権は当時国家計画委員会(現在の国家発展改革委員会)が握っていた。その上、政府と企業の分離という方針に従って、煤炭部は煤鉱総公司に、電力部は中電聯に再編された。 結局、旧能源部は、一方ではマクロ管理機能を欠き、もう一方では企業に対するミクロ管理も出来ず、形骸化した。1988年の能源部設立に関与した経天亮氏は、「当時、先に政府機能の転換を打ち出してから能源部を設けたのは、市場経済環境が未だ完全に確立されていなかったからだ」と指摘する。当時の能源部は、産業、政策、基準、戦略の機能を自任していたが、こうした時代の先を行く管理構想は、市場経済環境未確立の下では実現困難であった。しかもエネルギーは様々な部門に関係し、関係部門の序列も高いため、調整がうまく行かず、結局、能源部は廃止となったのである。 「もし今回、発展改革委員会と並立する能源部を設けたなら、当時と同じ問題に直面する。マクロ管理機能はすべて発展改革委員会が握り、能源部に移管することはしない。そうなれば、能源部は管理する術もなく、況や、今日の市場経済の下では、ミクロ管理はもっと不可能だ」と匿名のエネルギー企業幹部は指摘する。 「今回の改革で国家能源局を発展改革委員会の下に設置したのは、価格管理の機能が発展改革委員会にあることを考慮した上でのことであり、協調という要素を熟慮した結果である」と経天亮氏は述べ、また、上述の消息筋は、「今回の機構改革は漸進的なプロセスに従ったものである。一気に能源部を成立させることは不可能であり、段階的に進める必要がある」と強調した。 (中国電力網 3月13日)
「大部門制」による国務院機構改革案が明らかになったが、能源部(エネルギー省)の新設は見送られた。11日に公表された国務院機構改革案では、ハイレベルの議事調整機関として能源委員会が設けられ、能源局は準部クラスの機関として発展改革委員会の管轄の下に置かれることになった。
今回のエネルギー行政機構改革につき、全国政治協商会議委員兼中国電力投資集団の陸啓洲総経理(社長)と中煤能源集団の経天亮総経理は、政府はエネルギー行政機構改革を2段階に進めるよう構想しているとの考えを示した。すなわち、先に能源委員会と能源局を成立させ、体制の合理化を進めた上で、改めて能源部に昇格させるというものである。
今回の改革で大きく進歩した点は、石炭、電力、石油、天然ガス、そして原子力発電及び再生可能エネルギーも含むあらゆるエネルギーのマクロ管理機能がすべて能源局に帰属したことである。これにより、エネルギー管理体制の合理化と今後の能源部への昇格を進める上で基礎が固められたことになる。
二段階戦略
国家エネルギー指導小組弁公室の馬富才副主任は、バランスをより良く取るために、最終的に能源部を独立させずに、発展改革委員会の下に国家能源局を設けることにしたが、そうすることによって、今後マクロ管理部門との協調がうまく行くと指摘した。
これまで、中国には実質的に2つのエネルギーマクロ管理調整機関が存在していた。1つは国家エネルギー指導小組、もう1つはその事務局である国家エネルギー指導小組弁公室である。
指導小組は2005年に設けられた国務院の下の議事調整機関である。錚々たるメンバーを揃え、温家宝首相が組長となっていた。国家エネルギー指導小組弁公室はその事務局であり、発展改革委員会の下に準部クラスの機関として設置された。弁公室の主任は発展改革委員会主任の馬凱が兼任し、発展改革委員会能源局の徐錠朗局長と中国石油天然ガス集団(CNPC)前総裁の馬富才が副主任を担当している。
エネルギー指導小組と同弁公室は、設置されたものの、エネルギーの統一、協調管理の要請に応えることが出来なかった。そうしたところから、国家能源局を今回設立したのは、「機能の合理化と転換を進め、権限の分業を明確化して、協調の仕組みを健全化する」ことに重点があると、馬富才氏は指摘する。また、能源委員会の役割については、馬富才氏によると、そうした機能の仕組みにおいてどのような区別を付けるかがポイントになる。
能源委員会と能源局の二重の枠組みから能源部へ昇格させて一本化することは、上に述べたような問題を解決した後になる。消息筋は、「一気に枠組みを作ると多くの矛盾が生じ、当初は矛盾の調整に追われ、権力闘争にも陥る。正常の機能を発揮するまでには時間がかかる。したがって、まず二重の枠組みを構築した上で、条件が熟すのを待ってから、改めて自然な形で能源部への昇格を行うことになる」と指摘する。
包括管理
馬富才氏によると、今回の改革で大きく変化した点は、国防科学工業委員会の原子力発電に対する管理機能を能源委員会弁公室に移管させたことである。原子力発電は当初軍事的用途とされていたため、これまで国防科学工業委員会の管轄下にあったが、泰山、大亜湾など商業原子力発電所が建設され、管理を統一する必要が高まっていたのである。
能源局の具体的な機能については未だ明確にされていないが、能源局は、エネルギー戦略、エネルギー計画、エネルギーセキュリティ、産業基準等のマクロ管理機能に重点を置くべきであろう。発展改革委員会エネルギー研究所の周大地は、能源局はマクロ管理機能だけでなく、産業管理機能も有するべきであると考えている。
但し、政府から部分的に産業管理機能を委ねられている事業機関である国家電力監督管理委員会(電監会)は、新たに成立するエネルギー部門には統合されていない。「電監会は事業機関であり、政府部門には属さない。電監会の職責は政府から委託されているため、行政体制上、能源局に編入することは出来ない。しかも、電監会の機能は、市場計画、市場参入基準、市場主体など、電力市場に対して監督管理を行うことであり、能源局のマクロ監督管理機能とは異なる」と中国電力投資集団の陸啓洲総経理は言う。
旧能源部失敗の経緯と教訓
1988年に能源部が設けられたことがあったが、1993年には廃止された。今回のエネルギー行政機構改革の立案に当たって、国務院の専門家によるチームは、この時の教訓を総括した上で、当時能源部が流産した背景は今もなお存在していると考え、たとえ今回能源部を発足させても当時と同じ結果になるという結論を出し、最終的には穏当な二段階計画案を選択したのである。
1990年代初頭、能源部は成立したものの、マクロ管理権を欠いていた。マクロ管理権は当時国家計画委員会(現在の国家発展改革委員会)が握っていた。その上、政府と企業の分離という方針に従って、煤炭部は煤鉱総公司に、電力部は中電聯に再編された。
結局、旧能源部は、一方ではマクロ管理機能を欠き、もう一方では企業に対するミクロ管理も出来ず、形骸化した。1988年の能源部設立に関与した経天亮氏は、「当時、先に政府機能の転換を打ち出してから能源部を設けたのは、市場経済環境が未だ完全に確立されていなかったからだ」と指摘する。当時の能源部は、産業、政策、基準、戦略の機能を自任していたが、こうした時代の先を行く管理構想は、市場経済環境未確立の下では実現困難であった。しかもエネルギーは様々な部門に関係し、関係部門の序列も高いため、調整がうまく行かず、結局、能源部は廃止となったのである。
「もし今回、発展改革委員会と並立する能源部を設けたなら、当時と同じ問題に直面する。マクロ管理機能はすべて発展改革委員会が握り、能源部に移管することはしない。そうなれば、能源部は管理する術もなく、況や、今日の市場経済の下では、ミクロ管理はもっと不可能だ」と匿名のエネルギー企業幹部は指摘する。
「今回の改革で国家能源局を発展改革委員会の下に設置したのは、価格管理の機能が発展改革委員会にあることを考慮した上でのことであり、協調という要素を熟慮した結果である」と経天亮氏は述べ、また、上述の消息筋は、「今回の機構改革は漸進的なプロセスに従ったものである。一気に能源部を成立させることは不可能であり、段階的に進める必要がある」と強調した。
(中国電力網 3月13日)